11/19 東京国際女子マラソン そこに坂があるから

バルセロナオリンピックのメインスタジアムは、丘の上にあった。

ラストのスピード勝負なら森下選手の金メダル間違いない、と信じて見ていた、男子マラソン。スタジアムまでの、その丘を登っている途中で、突き放されてしまった。

まだ、自分が陸上選手をしている頃に、走ってみたが、確かにきつい坂だった。自動車がうなりをあげないと登らない、レベル。

マラソンのラストとしては、「走れない」といってもよい坂だ。

東京のコースも坂が騒がれるが、それに匹敵するかというと、決してそうは思わない。

だがランナーにとって、年一回もしくは二回しか走れないマラソンのレースを選ぶとき、わざわざ選ぶ理由はない。むろん私のようなものであれば「東京を走れる名誉」=参加標準突破、であるので、喜んで出場するが・・・

高橋ほどの実績がある選手が、海外のマラソンではなく、こうした国内のレースを走る理由は、世界選手権の代表選考、ということが挙げられる。

しかし、それだけではない。

代表選考以前に、陸連との関係を良好に保ちたい、こと。好き勝手やっていては、代表に選考されないことを、アテネで体感したのだろう。

アテネの選考は、我々以上に陸上選手・スタッフに衝撃を与えたのではないか。

日本陸連はアマチュア統括団体(のはず)だ。

選手選考は国民的関心事であっても、団体の一存で決めてしまって構わない。その強さが誇示された。

そしてもっというなら、野口の金メダルで、選考の正しさまで証明された。

高橋は、バンコクアジア大会に参加し、金を獲った。当時の実績では、喜んで参加した、といえるレベルだったろうが、陸連としては大いに助かったはずだ。その見返りではないが、陸連は高橋のやることに、相当な配慮をしてきた、と思っている。「蜜月」だ。

それに対して、ちょっと調子に乗りすぎちゃったのか。

そこまでわからないが、アテネに高橋が選ばれなかった時点で、その関係は終わっていたんだ、と気づかされた。

高橋は今年も東京国際女子マラソンにやってきた。

その走りは、見た目のフォームこそ変わっていないが、蹴りが弱く、体が伸びない。

雨で気温が低く、コンディションの悪い中、土佐のふるいで先頭の人数が減っていく。高橋は落ちこそしなかったが、土佐と同じレースはしていなかった。悲しい言い方であるが、土佐の眼中に高橋はなく、高橋は、トップレベルのレースに参加できていなかった。優勝インタビューで、いつ一人になったのかきづかなかったェ・・・とコメントしていたが、そこまで鈍感ではないと思う(金さんもレース中に、彼女は気づいていないかもしれません、的なことを言っていたので、本当かもしれないが)。

だが、最後まで付いていたのが誰で、何で離れたのか、とか、どうでも良かったのではないか。

それは、自分以外の誰も、レースを作ろうとしていなかったからだろう。

土佐の終盤ペースは褒められたものではないが、同レベルの選手がいない中で、坂の終わりまで一人でレースを形成したことは、評価できよう。意識する相手がいても、きっと対応できるレース能力が今の彼女にはある。

シドニーのコースもアップダウンがすごかった。

あれは、フリーウェイだったのか、後続の選手が上下に波打つ道を駆けているシーンは、市民マラソンのようでもあった。

高橋が坂を苦にしてその特訓をした、などとは聞いたことがない。二年前東京で失速したときには暑さが敗因となったが、バンコクで勝った時に誰が暑さに弱いということを語ったか。

結局、変わったのは彼女の立場なのだ。高橋は、きっとシドニーと同じ気持ちではもう走れまい。

勝っても負けても、高橋は金メダリストだ。金メダリストではない高橋、にはもうなれない。

マスコミを通じて伝わる姿がすべてではないが、今のボウルダーでの生活は、陸上チームごっこ、だ。ランナーとしての高橋は真摯だ。だがマネージャーとしての高橋は、的確な指示をコーチに、栄養士に、出しているか?

事前に公表するしないではなく、レースのたびに実はどこが痛かった、あるいはげっそりとした顔でフラフラ、というのは、要は調整ができていないのだ。

もう一度トップに立ちたい、自分でチームをマネージしたい、いろんな気持ちが出てくるのもチャンピオンならではだが、そんな甘いものではなかろうことは容易に想像できる。

日本のその他の選手と、同じラインにたって、出場権を獲得したい。そこにモチベーションが上がっていないのではないか。気持ちが中途半端ではないか。

それは、不思議なことではない。自然なことだ。

だが結局、それが、彼女の当面の目標である、オリンピックや世界陸上の参加への障害になっている。

ならば、彼女が本当に走りたいレースを走ったらいいんじゃないのか。

海外の賞金レースで、世界の一流選手と戦う名誉、あるいは記録樹立への挑戦、その方が、今の彼女のモチベーションを高めるには正しいのではないか。

今年の東京国際マラソン、たとえレースに参加できるレベルになくとも、高橋がいなかったらもっとお寒いことになっていた。陸連は大いに助かったことだろう。

だが、高橋にとって残り少ない競技生活だ。

今日みたいな、悲しいレースを続けたって仕方ない。

なぜ走るの?

ランナーは自問自答しながら明日も走るのだから。