ガンバ大阪:金森社長の退任に寄せて

2012シーズンが終了し、ガンバ大阪のJ2降格が決まり、散々ダメなところをあげつらわれた一週間だったわけですが、そろそろ良かったところも挙げてこうじゃないか、という反動の気持ちの中、金森社長の退任が決まりました。最後の一年で徹底的に株を下げた同社長ですが、この4年半でクラブが大きく変わったところを見つめなおして、彼へのはなむけとしたいと思います。

金森社長の前任の佐野社長は、グッズがバカ売れするなどサポから大いに愛され、惜しまれつつの退任でした。

佐野社長が支持されたのは、単にそのキャラだけでなく、就任当時の弱いガンバを(結果的に)常勝チームに引き上げたこと、ユースへの絶大な愛情と海外志向のサポート、が背景にあったように思います。立派な芝の練習場を完成させてクラブハウスとともに名実ともに万博を拠点としたのも、ユース寮を整備したのも、パナソニックの人事畑を歩んできた佐野社長ならではのプロジェクトだったと思います。長年ゴール裏の問題であった分裂応援が解消したのも佐野社長時代です。関連性は単純には語れませんが、佐野社長時代にJリーグナビスコカップを制覇しました。

つまり金森社長が就任した時点では、ガンバが抱えてきた様々な課題が解消されつつあるフェーズであったといえる反面、弱小クラブから脱皮しつつありこれまでとは異なる成績面でのプレッシャーもあったといえます。

サッカークラブというのは、社会影響力は大きいですが、売り上げや従業員数でいえば、中小企業。パナソニックの規模からいえば社内のユニットとしても小粒な部類でしょう。そうした中で金森社長の最大の功績としてはスポンサー獲得ではないでしょうか。就任前の2008年1月期決算で14.4億円だった広告収入は、2012年1月期には17.4億円まで増加しています。リーマンショックや国内の失政による景気停滞の状況下で、これは評価に値することだと思います。

実は、ガンバ大阪の広告料収入は2005年の優勝翌年に一時的に跳ね上がりましたが、2007年期に急落しています。ここは前社長の佐野さんの弱いところでもあったのですが、それを上昇軌道に乗せたのは金森社長の手腕といえるでしょう。

これは非常に重要で、毎年ACLに出場することで運営費はもちろん、保有選手枠も拡大することで自ずと人件費が拡大する中で、財政基盤を安定させることは必須だったわけです。安心して遠征し、充分な選手層を確保できたのは、彼の稼いできたお金によるところも大きかったことは感謝しないといけません。(一方で充分な選手層を活かしきれない監督の問題もありましたが)

また、彼がガンバ大阪のミッションステートメントとして加えた「お客様第一の運営(常に顧客満足度の向上を目指し、全ての判断の基準をお客さま第一として運営を行う)」、「質の高いスポーツエンタテインメントの提供(安全で安心できるスタジアムでのショーアップされたゲームなど、質の高いスポーツエンターテイメントを通じてお客様に感動を提供し、ガンバファミリーの輪を広げる)」については、我々サポーターはより身近に実感していることと思います。

たとえば、実に貧弱だったスタジアムグルメを、Jリーグ有数のものに押し上げた「美味G横丁」については、そのベタなネーミングも含めて、大阪らしさを演出しています。その延長として試合終了後のGAMBARなども、試合の余韻を楽しむ目的と、公共交通機関や駐車場の混雑緩和に大いに役立ちました。その様子を見に来る社長とお話しするのも楽しみの一つでした。

一方で、2008年の就任直後に埼玉スタジアムでサポーターが引き起こした暴動については、断固たる措置をとったと思います。勝点はく奪にこそ至りませんでしたが、試合主催者の浦和レッズに罰金という迷惑をかけたことはもちろん、ガンバ大阪の動員にも大きく影響しかねない騒動でしたので、早々に当該サポータグループの解散を命じ、ホームで謝罪をしたのは賢明な措置であったと考えています。もちろんそれを好ましく思わない方も多くいらしたことでしょうし、一部のサポータに鬱積したものが先日の磐田で露呈したのかもしれません。

それに応じて(と記憶していますが)、サポーターミーティングが定期的に開催されるようになったのも彼の実績と言えるでしょう。

その後発足したサポーター連合とともに、応援についても様々な試みを試行された事と思います。以前はロート棒を配るくらいのものでしたが、コレオ用のカードを配布したり、フラッグイベントを開催したり、質の高い煽りVTRを作成してサポの応援と連動したり、工夫がみられました。

20周年記念事業では、講演会の開催、記念ユニフォームの作製、旗の無料配布など、一年間かけて盛り上げに帆走しました。試合当日のヘリからのボールインは残念な感じでしたが、浦和サポさんにも盛り上がっていただけたし、その後の記念試合キラーへのきっかけを開いたのではないでしょうか。

ピッチサイドシートの導入も、スタンドから距離の遠い万博での最大限の工夫でもあり、その売り上げ・人気の分析が新スタジアム建設計画に生かされていると思います。

イベントとしては「ギネスに挑戦」は忘れられません。ギネス記録証を売りつけるというビジネスモデルを知ったことと、あまりの剃り味の良さに試合終了後にラムダッシュを買いに走ったのは良い思い出です。

運営的な努力としては、天皇杯のホーム開催も金森社長の大きな功績です。鹿島の社長にアドバイスをいただくという単純明快なことではありますが、仮にも社長が頭を下げて他社に教えを請う、というのはなかなかできることじゃありません。これは逆に言うと、長年アカデミーを支えた上野山さんをJリーグに出向させた人事や、ACLのアウェイ経験を他チームに積極的に教示したり、負けた試合の翌日の相手に練習場貸したり(これは個人的には納得いってないですが)、と言った対外友好的な姿勢・関係を維持できたことが要因と言えるでしょう。

そして、何といっても未来のガンバ大阪を支えるであろう大プロジェクトである新スタジアム。この建設に向けて目途をつけたのは金森社長の重要な業績であり、今後の進捗如何では、スポンサー獲得以上の彼の最大の功績となるでしょう。スルガ銀行カップを長居で開催させられた屈辱を我々は忘れてないですし、ガンバ大阪の50年に向けて、新スタジアムの建設は必須の要件だと考えます。渋る吹田市を説き伏せ、寄付金で建設するというプロジェクトを、協会とリーグを巻き込んで動かした熱意と手腕には頭が下がる以外の言葉はありません。

サッカーについては素人に徹して、チーム編成に関しては強化部に任せたことが2011年末からの迷走につながったのは否めません。それも社長の失態であることは言い逃れできないですし、その責任を取って辞任されるわけです。

(もっとも素人社長が現場に口出ししていたら、ACL制覇も天皇杯連覇もなかったかもしれませんが)

彼の「大丈夫だって!」は一度は現実となりましたが、二度目はダメでした。

勝ち負けはスポーツにつきもの。引責辞任とは別に、今回の失敗はきっちりと総括して次にいかさないといけない。

だからといって、金森社長がクラブ運営に関して見せたプロ経営者としての実績が霞むことはない。それを享受させてもらった御礼を一サポータとして述べておきたい。

4年半、ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。

どうか、これからもガンバ大阪を様々な形で応援してください。