北京五輪・女子サッカー:ブルーのユニホームが準決勝って!
ここは、気の利いた解説ができるでもなく、結果をレビューして、ほぼ自分のためだけに感想を記録をしているような、ブログです。
従って、最終結果が出るまで書くまいとも思いましたが、女子サッカーの活躍について、まだ途中経過ですが、記したいと思います。
Jリーグの前座試合では、小学生がフルコートで、サッカーをしている。そこでは、脚力の劣る子供達が広いグランドを駆けている。
そこには広大なフリースペースがあるのだが、そこが彼らに活用されることは、ほとんどない。
普段の試合のサイズの中で可能な、パスやクリアを選択するのを見ると、日本人の限界を悟ってしまう(大げさ)。
ただ、偶然にも、敵または味方のミスキックが、広いスペースにとんで、そこに、たまたまフリーで走り込める選手がいると、突然試合が急変する。
ワイドに、または縦に早いボールが出た途端に、前座試合が一瞬迫力を持ってキラッと光る。
ただのフリースペースではなく、スペースを生かしたサッカーというのは、かくも重要でそのために献身的に走り、ボールを動かす。あるいは行かせるスペースを潰す。こうしたことがいかに重要か。ひいきのチームの連敗を目の当たりにして、実感している。
翻って、日本代表。
男子のことはもう言うまい。彼らの戦いはもう別のステージになっている。
女子と男子を比べて、男子に見習えと言うのも、なんだか酷である。
小学生の試合を見て、Jリーガーに、ああやってスペースを使うんだよ、とやっても、効果的ではないのと同様に、多分に別のスポーツなのだから。
ただし、完全に別のスポーツではない。
お互いが、相手のゴールにボールを納めるために、相手の攻撃を抑えながら自分たちが攻める。
そのアプローチの方法は様々だけど、女子サッカーの日本代表が、ノルウェー戦、そして中国戦でみせたパフォーマンスは、その基本的なところを、見失ってはいなかった。
最小限で確実な守備的な動きと、それを達成するためのラインの押し上げとプレス。ボールを奪ったときの、攻撃への連動性。失ったときのディレイの努力。
初戦のNZ戦の前半は、どちらかというと、がっかりした。
「なんだよ、女子も男子と一緒じゃねーか」
男子よ見習え、という単純な図式ではないけど、世界に勝っていける日本人らしいサッカーの、一例を、今僕らは見てるんじゃないだろうか。
「日本代表の日本化」は、ドイツ後の男子サッカーのコンセプトだったし、監督が替わった今も、継続しているはず。
結果論で、良いときのプレーだけを取り上げれば、たしかにただ絶賛することになってしまう。だから躊躇したけど、
でもコンフェデ杯で決勝にいったんじゃない。
フルカテゴリーの世界大会で、準決勝を戦うわけだ。
こんな機会が、この先の日本サッカーにあるのかどうか。
好意的にみても40年後じゃないかしら。
日本化されたサッカーに、期待をしながら、応援したいと思います。