10/4 キリンカップ 日本vsガーナ 準備中

大リーグのプレーオフで面白いプレーを見た。

無死一二塁で打者がライトフェンス直撃の当たりを放つ。二塁走者は打球の行方を見てスタートが遅れて、ホームでアウトとなる。

ライトからの返球に遠い外側から滑り込み、捕手ももちろんバックネット方向を向いてタッチ。審判は目の前にいる。アウトのコール。

とそこへ一塁走者が捕手の後ろ、ベースの内側からホームへ滑り込んできたのだ。残念ながら、奇襲は実らず、捕手は反転し間一髪アウト。

プレー後、アウトになった走者はチラリと三塁コーチを見た。暴走ではなく、コーチの指示が、ゴーだった。その判断が適切だったか、どうかはわからない。

だが、コーチがゴーを出したから、選手がすぐ機転を利かせてできるような、簡単なプレーではなかった。場面を想定して行われてきた練習の一つだったのだろう。

プロのチームの、プレーに対する準備の周到さが垣間見えて、興奮した。

同日に行われた、キリンカップサッカー、日本対ガーナ。

試合の結果は0-1で日本が敗戦。

ボール保持率はイーブンだが。感覚的には、日本がボールを動かしている時間が、遙かに長く感じた。それは、ボールを回す速度、パスの本数などによるのかもしれない。または、私の体内時計が、保持率50.5%というわずかな差を鋭敏に感じ取っているのかもしれない。

しかし一番の原因は、ガーナの選手のプレーの早さ、のせいだろう。プレスに行くときの(行かないときも多いが)早さ、ボールを奪うときの早さ、パスの早さ、ゴール前に走り込む早さ。プレーの早さで、ガーナが実際にボールを動かしている時間を、忘れさせてくれたのではないか。

一方で、ボールが散らず、特定の選手を経由する単調さはひどかった。

例えば、エシエンのパス本数は69本、アッピアは64本である。

(日本は遠藤の38本が最高で、30台が5人)

失点シーンだけをみると、日本は絶望しなければいけない。

あのスピードでボールを運ばれ、あの速さと強さでゴール前にボールを入れられて、それを正確にシュートされたら、日本人はサッカーができない。

しかし、実際そんなシーンをほとんど作らせなかった、ともいえる。W杯とはモチベーションも違うし、親善試合で、日本相手にはワンチャンスで充分、と考えても不思議ではない。しかし、失点シーンのような絶望的な差を、90分間見せられ続けたわけではない。

とはいえ、1-0というのは、大きな差だ。

日本は、スコアできなかった。

監督が替わって、守備・中盤でのプレースタイルに多少の変化はあっても、ゴール前で、タッチ数を多くして、ゴールに向かう、という日本の(日本人の?)スタイルは変わらない。

少ないプレーで突破するには、何かで優位に立っていないといけない。

身体能力しかり、総力しかり、高さしかり。

日本は、そこで勝てない以上、形を作ってゴールに向かう以外選択肢がないのだ。

ジーコ前監督は「創造力豊かなプレー」を求めていたが、それは最後まで(ドイツまで)、中盤のプレーに終始した。中盤のプレーがゴールに向かわなかった、とでも言うべきか。

その中で、ゴールを決めていくためには、周到な「準備」が必要なのだろう。そして、おそらくこれまでに比べて、その準備の成果は、ガーナ戦では出たのではないか。

試合序盤に巻にロングボールでボールを供給する一方で、駒野や山岸のシュートは良い形であったし、バランスも良く相手は、次何をされるか読めずに混乱するシーンもあった。

中村や長谷部は少し気負っていたのかもしれないが、遠目からも脅かすという役割を理解していた。

オシム監督は色々な選手を呼んでいると言うが、核となる選手は遠藤・アレックス・鈴木・阿部、など変わっていない。おそらく坪井やトゥーリオも、怪我がなければ変更ないだろう。

今は、中心選手に対して、多くの選手を充てて相性を見て、準備をさせている。そのための各選手の招集だろう。極端に言えば、試合で使うかどうかさえ関係がない。オートマティズムというのは、特に珍しい考え方ではないが、そのための準備が、どれだけできているか、成熟するか、が重要であろう。

FWの選手はもちろん、二川、中村憲剛、長谷部など中盤の選手も、単に交代で変化をつけるだけではなく、中盤同士・前線との関係で攻撃の厚みを増すために必要な準備だ。

時間や日程の問題で、準備が不足している。

そしてそれは、プレーに制約の多い野球と違って、遙かに予測が難しく多岐にわたる。

それは、最初から分かっている。

でも、着々と進んでいるようだ。インド戦で何かを期待するわけではないが、前進する姿を見せてほしい。